世界一大きな霧箱を再び訪問しました

Tag: 茨城 東海村 霧箱 放射線


早朝の常磐線・特急ときわ51号です。
初めて乗った常磐線です。



 今日は,去年のGWに見に行った,茨城県東海村の原子力科学館に再びやってきました。
ここには世界一大きな霧箱があります。



今回はこの霧箱のメンテナンスを行っている人との面会が実現し、霧箱の裏側を見せていただけるということで再訪問しました。
製作者と
2018/06/23 11:04:05
PENTAX MX-1



ここの世界一大きな霧箱ができたきっけは,1979年のアメリカスリーマイル島の原子力発電所事故だということです。事故後、自然放射線を視覚的に体感できるような霧箱を作る必要性があると考え、東海村日本原子力研究所の富井格三さんが設計し、製作されたものが1989年の1号機でした。
これは2号機です。

今回お会いした武田常夫さんは原子力研究センターの講座を担当される傍ら,霧箱の紹介や撮影もたくさん行ったそうです。現在は退職され、この霧箱のメンテナンスをボランティアでやっているそうです。
霧箱は放置しておいてもうまく動くというものではなく、きれいな飛跡が見えるには日常のメンテナンスが大事です。この霧箱も大部古くなってきているので、メンテナンスは欠かせません。

 霧箱談義に花を咲かせました。



これは霧箱の裏側です。
壁のすぐ向こうは展示されている霧箱本体です。
中の装置も見せてくれたのですが,手作りって感じでしたよ。



これを見ると底面温度はマイナス45度,上面は27度ほどで,温度差70度です。
アルコールも27度に加熱して流しているんですね。



霧箱の照明はこの自動車のヘッドライトが一番良かったそうです。



霧箱の奥に並んでいるのがヘッドライトです。
この上面ガラスはかなり厚いものを使っているのですが,それは「子供が乗っても割れないようにするため」。
もちろん断熱もあるのですが,やはり「乗っちゃいけない」と言っても乗っちゃう子供がいるんだそうです。科学館の展示は私たちに思いもよらない対策も必要というわけです。

お互い霧箱を極めたもの同士,たのしい時間を過ごしました。


今回の訪問は全くの偶然の出会いから始まりました。
小林さんが5月にここの霧箱を見に来たとき,たまたま武田さんが霧箱のメンテに来ました。そこでこの霧箱についての話を聞いて、後日,科学技術振興財団の掛布さんを通して,面会が実現しました。
 どこで何がつながるか分からないものですね。

参考文献(Amazonのリンクです。)

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