ザンジバル・ストーンタウンとフレディ・マーキュリー

Tag: カバの旅 タンザニア ザンジバル ストーンタウン フレディ・マーキュリー

 タンザニア旅行後半は,東海岸のバラダイスビーチを後にして,西海岸の首都ザンジバルシティへ移動。ストーンタウンに2泊しました。
 ストーンタウンはザンジバルシティの旧市街です。10世紀頃からアラブ商人が定住し,大航海時代にはポルトガル,その後はオマーンの首都になったこともあり,イギリスの支配も受けました。アラブと西洋の両方の影響を受けた町で,2000年に世界文化遺産になりました。

 パラダイスビーチオーナーの沙織さんに町まで送ってもらい,ホテルにチェックインした後は,まずは腹ごしらえ。沙織さんが通りがかりに飛び込んだ店。
 注文するとその場で作ってくれるファーストフード。
 

おなじみのココナッツたっぷりで美味しかったです。
 

 お世話になった沙織さんともここでお別れ。
私たちはストーンタウン市内を散策。
1820年代のスルタンの王妃が住んでいたという館は,装飾がきれいです。
 

今までいたパジェとは反対側の西の海が見えます。
海岸のカフェに入りました。こっちに来てもやはりビール。
 

このカフェは「マーキュリーズ・バー」。

映画の大ヒットで一躍流行が復活した,イギリスのロックバンド「クイーン」のフレディ・マーキュリーにちなんだ店なのです。
映画でも描かれていましたが,フレディ・マーキュリーはここ,ザンジバル出身なのです。
店内にはクイーンの写真が飾られていました。
 

店のトイレはキングとクイーン。
 

町へ入ると何やら人が集まっている場所が。
 

フレディ・マーキュリー・ハウスでした。
私たちは偶然取りかかっただけでしたが,クイーンのゆかりの地を巡ったのでした。
 

パラダイスビーチでも一緒だった,kumiさんのお店にも立ち寄りました。マーキュリー・ハウスの少し先にありました。
 

kumiさんとひとしきりおしゃべりの後,カバグッズを買い込んだのでした。
 

ストーンタウンには昔の城壁が残っています。植民地争奪戦時代の遺物です。
 


 


 

旧市街は家が密集していて,狭い路地がたくさんあります。
 

スマホに夢中の子どもたち。
 

ここは猫の多い町でもあります。エサをもらってました。
 

ザンジバルドアと呼ばれる重厚な扉です。
 

これもザンジバルドア。見事な彫刻です。
 

町のシンボルのようなすごく大きな木がありました。多分ガジュマル。
 

ザンジバル島は大陸側のタンザニアとは連合国家です。
大陸側に渡るにはパスポートが必要。国旗も違います。ザンジバルの大統領もいます。
 

町には大きなバオバブの木もありました。
 

たくさんの実がなっています。
 

硬いさやを割ると,中には酸っぱい果肉の種がたくさん入っています。
 

これが酸っぱい果肉。乾いて粉っぽいです。
 

調味料にしたりお菓子にしたりと食用になっています。

これがバオバブの実のお菓子。赤く甘く味付けされています。
 

これは町中で偶然見つけたCOINS SHOP。
各国のコインを加工してアクセサリーにしていました。精密加工でとてもきれいです。お土産にいくつか買いました。
 

 

ランチは海に突き出したカフェで。ここにも猫がいました。
 

こちらのジュースの何が良かったかというと,どこの店でも果物をそのまま搾って出してくれるところ。日本みたいにシロップとかは一切無し。やっぱり産地のジュースは美味しいです。
 

どこに行ってもビールは欠かせません。
 

午後,学校が終わったのか,子どもたちが海に繰り出してました。
 

ザンジバル島には,かつて大きな奴隷市場がありました。イスラム商人が大陸から連れてきた奴隷をここから積み出したのです。後にはイギリスも奴隷商売に参入。その市場跡はいまでは博物館と教会になっています。奴隷博物館にあった奴隷の像(Slave Chambers)。
 

そのかつての奴隷市場の土地にはキリスト教の教会が建ちます。ザンジバル島はイスラム教徒が多数なのですが,この教会は大きなものでした。
 

奴隷博物館を後にして,私たちのホテルの近くにあった海の見えるカフェへ。
ストーンタウンは夕日が見えるので,夕食を兼ねて立ち寄りました。
 

私たちの隣にはエチオピアの女性が来ました。
オーストラリアで育ったそうですが,今はエチオピア人だそうです。
何でも夫を家に置いて一人旅とか。
 

そして夕日の時間。
 

 

 

やがて星も輝き出しました。
 
パジェの海岸で見たのと同じ,西に傾く南十字。


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