金沢の忍者寺こと「妙立寺」へ行きました

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 12月の連休の初め,金沢に所用があったのですが,午前中は時間があったので,ちょっとどこかへ行ってみようとガイドブックで探して行ってみたのが妙立寺(みょうりゅうじ)です。
 金沢駅前からタクシーに乗って「妙立寺へ」というと「忍者寺ですね」と。なるほど地元ではそういうのか。タクシーの運転手さんが「10時半の予約ですか」というので,予約が必要なことを初めて知りました。「すいてれば入れてくれるかも」ということで,ともかく時間ギリギリについて受付に行くと,ラッキーなことに入れてもらえました。


 これが入り口ですが,中は撮影禁止です。
妙立寺


 中は迷路のようで,ガイドについてグループで見学します。部屋が複雑に入り組んでいて,落とし穴や隠し扉,地下への脱出路など,お寺というよりは防衛設備です。
妙立寺
 この階段の障子は明かり取りの役目があるのですが,登ってくる敵の足の影を見て,中から突き刺すためにも使うのだとか。


妙立寺
 引き戸を開けると中へ入れます。敵なら警護の武士が待ってます。


 右の建物の上についているのは「物見台」。お城の天守のような役目をしてます。つまりこのお寺は城の役目を持っていたのです。
妙立寺
 墓石の文字を見るといかにも日蓮宗っていう感じですね。


 お寺のまわりは細い道。まわりは別のお寺に囲まれています。これも防衛施設として,いざというときに武士を大勢ためておけるように寺を集めたのだそうです。
妙立寺


 ここが横の入り口。
妙立寺
2018/12/22 11:23:46
PENTAX MX-1


 なぜこのお寺に防衛のための仕掛けが多いのかというと,当時の「幕府への恐怖」がそうさせたのです。当時はまだ江戸初期の不安定な時代。加賀藩前田家は100万石という広大な領地を持っていたので,幕府から敵視されていたそうです。それで万一幕府が攻めてきたときの,市街戦用の出城として作られたのだそうです。
 忍者は全くいませんでしたが,防衛施設として仕掛け満載なので,いつしか「忍者寺」と呼ばれるようになったのでしょう。
 防衛施設といっても庶民の参拝も盛んだったそうですし,藩主のための茶室などもあって,くつろぎの空間もありました。江戸時代も安定期に入ると,幕府との緊張関係も緩んで,「変わった仕掛けのあるお寺」として存在し続けたのでしょう。
 たまたま行ってみただけでしたが,おもしろいお寺でした。内部は撮影禁止なので紹介は控えます。ぜひ実際に行って,中の仕掛けを楽しんでください。
 なお,私たちが帰るときに来たグループも予約がなかったらしく,このときは予約してくださいと断られていたので,本当に私たちは幸運だったようです。

 

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