科学教育の巨人,板倉聖宣さんお別れ会
現在でも唯一の科学的教育理論である仮説実験授業の提唱者で,「授業の科学的研究」と「たのしい授業の研究」に全力を尽くしてきた板倉聖宣(いたくらきよのぶ)さんが2018年2月7日に亡くなりました。享年87歳。老衰で眠るような最後だったそうです。私も30年以上,仮説実験授業研究会で活動してきたので,いわば大師匠です。
2月15日に東京都府中市の「府中の森市民聖苑」で行われた「お別れ会(いわゆる葬儀)」に参列してきました。
なお,この日の進行は以下の通りです。
実行委員長 山崎敏光さん
司会 竹内三郎さん
弔事 岩城正夫さん
桃井隆良さん
歌 「千の風になって」伊藤善朗さんのギター伴奏
祭壇は徹底した原子論者=無神論者の板倉さんらしく,1億倍分子模型とたくさんの著書で飾られています。生前「分子模型で埋め尽くしたい」と語っていたよりは小規模ですが,板倉さんらしい無宗教の祭壇です。
中学校時代の同級生で,研究なかまでもある岩城正夫さんの弔辞。岩城さんの代表的な著書は古代技術を復元した研究『原始時代の火』です。
「本日は無神論者の君のための無宗教の葬式だ。……〈君よ,安らかに眠れ〉というのは生きている我々の願望にすぎない。でも,それでいいじゃないか。本日は在りし日の君を思い出し,皆で語り尽くすことにしよう」
日本ではまだ少ない株式会社の学校「ルネサンス高等学校」を作った桃井隆良さんの弔辞は,すでに欧米に追いつき,まねするものがなくなった現代は「仮説実験〈事業〉」こそ未来を切り開く唯一の方法と力強く語りました。さらに,常々板倉さんが御自分をガリレオになぞらえていたことに触れて,「ガリレオが死んだ年にニュートンが生まれた。未来の板倉聖宣は世界のどこかにもう生まれているかもしれない。そのために板倉さんの著書を英訳したい」とも語りました。研究会の中でもすでに板倉論文の英語化活動の有志チームが活動しています。
ルネサンス高校の理科の授業は仮説実験授業です。とてもたのしく科学を学んでいる,日本でも先駆的な学校です。実業家の桃井さんは公教育とは違った方向から,板倉さんの理論を実践し,未来へつなげていこうとしています。
最後は伊東善朗さんのギターと歌で「千の風になって」をみんなで歌いました。
板倉さんなら「千の原子になって」でしょうね。きっと。
参加者に花が配られて,最後のお別れに棺に収めます。
それぞれの思いでお別れを言いました。
板倉さんの最も大きな功績は「子供でも大人でも誰でもたのしく原子のことが学べる」ということを証明したことでしょう。
会場にはたくさんの分子模型が参加してました。
最後のあいさつで,奥様の板倉玲子さんが「板倉は全力で走っていった」と,教育の研究に全力を注いだ板倉さんの思い出を語りました。
「産経ニュース」018.2.16 05:03に,「残念ながら教育にはノーベル賞がない」という記事がありました。板倉さんはよくご自分をガリレオ・ガリレイに例えていました。ガリレオの時代,学問の主流はアリストテレスの哲学とキリスト教一色でした。実験科学は始まったばかりで,科学者は少数派で,評価する人(できる人)もほとんどいませんでした。どの分野であれ,「本当の先駆者」が賞をもらうことはないのです。現在の教育学は未だに科学以前の状態(スコラ哲学状態)。教育界に実験概念が欠如しているお粗末な現状の中,板倉さんの科学教育の理論は,教育の科学的研究の先駆的研究です。仮説実験授業は,まだまだ少数派です。ガリレオの弟子たちがその後をつないでいったように,私たちも前に進まなくてはなりません。
偶然にもお別れ会の2月15日はガリレオ・ガリレイの誕生日。
この青空の中に板倉さんは原子となって見えなくなりました。
見えなくても原子は無くなりません。この世界のどこかに板倉さんの原子はずっと存在し続けます。そして板倉さんが残した理論はこれからも私たちが未来に受け継いでいきます。
とは言っても,それは使命感とか責任感とはちょっと違う気がします。板倉さんの残した仮説実験授業は「チョー楽しい!」のです。科学の研究はとても楽しくワクワクするもの,それが板倉さんの理論です。科学の楽しさを知った私たちは,勝手に仮説実験授業をやっちゃうんです。それが未来へつないでいくことになるだけ。
これからも科学教育を楽しく研究していこうと思います。
最後に,前日葬(いわゆる通夜)で仮説実験授業研究会事務局の犬塚清和さんが紹介した文章がとても素敵だったので掲載しておきます。
私の夢大きな夢(1964~5年ごろの文章) 板倉聖宣
私は大きな夢を描くのが好きだ。けれども,実現できもしないような夢はつまらない。
実現できそうもなくて,しかもできそうな夢,そういうぎりぎりの大きな夢を描く。そして,そのために全力を挙げて奮闘する。こういうことは大変たのしいことだと思う。
仮説実験授業という一つの新しい教育の実践的理論もこうした大きな夢から生まれた。
初めその夢はできそうもなくて,しかもできるかもしれなぎりぎりの大きな夢だった。
それが実現できた。この喜びは一生忘れないだろう。
もし何か外的な力が働いてこの仮説実験授業にありとあらゆる悪口が吐かれ,大きな圧力のもとで新しい発展を食い止められることがあっても,これまでの成果を科学的な論文の形で冬眠させておけば,いつかは春が来て芽を吹き返すことができるだろう。
「そういう冬眠さえできるほどにこの研究は一つの段階を画した」と私は見ている。