名古屋大学F研訪問

Tag: F研 霧箱 放射線 名古屋
 7月に名古屋大学基本粒子研究室(F研)を訪問してきました。
わたしのHPで紹介している超高感度霧箱の発明者である林煕崇さんのお招きでした。
林さん
2014/07/12 15:21:24
 林式霧箱の発明者林さんです。物作りが大好きな人って感じでした。

 今回のいきさつはこんなメールから始まりました。
〈霧箱の手紙〉----------------------------------------------------------
Date: Fri, 27 Jun 2014
 はじめまして。手紙と本を拝見しました。本当にありがとうございました。火曜日でした、私の机の上にうみほしさんからの本と手紙の入った封筒が置いてあった日ですが、その日はちょっとハプニングがあった日なのです。トリウム2%入りタングステン溶接棒を購入して、この日にテストをしていました。火曜日は1年生の霧箱の学生実験があるのでそこへ持ち込んでテストしました。が、ほとんど飛跡が出てこないのです。研究室に持ち帰ってもう一度調べる予定で霧箱一式とドライアイスを持ち帰り、ボスの中村教授にタングステン棒の結果が思わしくなかったことを話しました。
「入ってないのかな?」と中村先生がインタネットで調べていたようです。霧箱をセットしてテストをやろうとしていたとき、中村先生がやってきて「林さん、インタネットにすごい動画が出ているよ」と言って見せてくれたのがうみほしさんの動画の映像でした。「すごい!」の一言に尽きました。その後タングステン棒を底のアルコール液に達するまで挿入してテストすると、α線が結構出ています。そしてα線の飛跡が1時間たっても出続けています。マントルだと結露してでなくなるのですが溶接棒の場合は出るのが不思議でした。遅くなったので続きは明日にする予定で部屋に帰り、帰宅しようと思ったとき、事務の方が机の上に置いてくれていた封筒を初めて見つけました。開けてみたら先ほど動画の映像でショックを受けたうみほしさんからの手紙だったので、中村先生と2度びっくりしました。本当に偶然ということが重なることもあるのですね。
 長々とうみほしさんの手紙を見るまでのいきさつを書きましたがすみません。この日にα線が学生実験室できれいに見えておれば、うみほしさんの動画発見ももっと遅れていたと思います。そして手紙を見たときの感激も少し変わっていたかもしれません。すごい実験を続けているうみほしさんにぜひいろいろ教えていただきたいと思っています。近いうちにお会いしたいと思いますがご都合はいかがでしょうか。それから林式霧箱は少し変わって、さらに簡単な構造になりました。安定性のテストを続けています。添付ファイルに載せておきます。今日は内容に関するものがありませんが、霧箱発展史的な四コマのイラストも送ります。10年位前からの変遷です。最初のころは高圧電場をかけていました。どんどん簡単になったというのが歴史です。 林ひろ-----------------------------

 というわけでF研訪問となったわけです。

 これは最新型の大型霧箱です。従来のものをプラスチック段ボールで作ってあります。大きいだけで仕組みはペットボトル式と同じです。展示用に最適です。これで4日間動作しているということでした。
霧箱

 今回の改良で今まで使っていた,上面アルコール保持用の隙間テープが不要になりました。さっそく私も作って展示に使いました。
霧箱

 霧箱談義の後,原子核乾板の読み取り室を見学しました。
読み取り室

 これが原子核乾板です。宇宙線の飛跡を撮影するシートフィルムのようなものです。
原子核乾板

 これを顕微鏡で見て,目的としている飛跡を捜します。
飛跡読み取り顕微鏡

 これは飛跡の自動読み取り機です。現象が起きた部分を自動で捜します。
自動読み取り機

 原子核乾板の顕微鏡画像です。
読み取った飛跡

 これは現在の読み取り機を100倍高速にしたもので,制作中です。
100倍装置

 他にもいろいろな実験道具を開発されていて,科学する楽しみにあふれた林さんでした。
 今回は前から聞きたかった「林式霧箱の発見の経緯」も伺うことができました。林さんによれば「とにかく宇宙線を見せたかった」ということでいろいろ試行錯誤しているときに,「アルコールを増やしてみたら」と試したところ,うまくいったということです。特に何か新発見をしたとか今までの霧箱とは根本的に違うという意識は無いようでした。
 F研のHPに作り方を乗せたのは数年前で,2011年の東日本大震災よりも前というお話でしたので,HP公表と震災の関係は無いということもわかりました。
 私が林式霧箱を発見したのは2011年10月で,「これは放射線教育の画期的な一歩を踏み出せる発明だ」と直感しました。
 2011年3月の福島原発事故以来,研究仲間の要望で「放射線の授業」を本格的に作ってきたのですが,そのときはそれまで数年間使ってきた「ガンマ線測定器(はかるくん)」を用いて展開していました。2011年4月に科学技術振興財団の掛布智久さんから,彼が講座で使っている「シャーレ式霧箱」を見せてもらい,手軽に放射線を見せることができることは分かっていましたが,「線源が必要」ということがひっかかって,私はその霧箱を採用しませんでした。他に京大式霧箱の講座も行きました。京大式はお菓子の大きな金属缶を使って,線源には掃除機で集めた空気中のラドンを使います。これはこれで少ないアルコールとドライアイスと大きな霧箱で,少ないコストでみんなで見るのによいです。
 しかしやはり「線源が必要」では,放射線は「特別なものから出る特殊なもの」という一般の人たちの持つイメージを打ち壊すことができません。それでは従来の放射線のテキストを超えるものにはならないと判断したのです。
 私は「まわりにいつでも飛んでいる普通の放射線を見せたい」と考えてその方法を探していました。そして霧箱の発明者のウイルソンの方法も研究しました。しかしうまくいかず,「測定器で放射線を見る」という手段で授業展開するしかありませんでした。しかし2011年8月の仮説実験授業研究会の大会での改訂版テキスト「放射線とシーベルト」発表後は「測定器で教える限界」を感じて,「見せる方法」を考える方向へ方針転換しました。そこで「放射線の良い写真が無いか」と捜しているときに,京都大学の舟橋春彦さんから名古屋大学F研の原子核乾板の事を教えてもらい,F研のHPを見たのです。そのとき林さんの霧箱を発見したのでした。
 これこそ私の求めていたものでした。そして「林式霧箱は科学教育の画期的な手段になる」と直感して,その使い方を徹底的に研究することにしました。その一部がわたしのHPに公開している霧箱写真や動画です。
 「霧箱を全面的に使って放射線を教える」ということは私の本の出版で明らかにしますが,林式霧箱が科学教育の歴史の中で画期的な発明であることは確かであるとわたしは林さんの発明・発見を評価しています。
 科学の歴史では発見者がその発見の意味に気がつかないで,他の人がその画期的な点を評価して世間に広めていくという現象が良くあります。私と林さんの場合もそれと似ているなと思いました。
 林式霧箱はそれまでの教材用霧箱とは全く違うものです。その画期的な違いを有効に使うことで,新しい放射線のイメージを多くの人に伝えることができるでしょう。1日も早くそれが発表できるように本の完成に努力したいと思います。

参考文献(Amazonのリンクです。)

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