ローマ帝国銀貨に見る時代区分

Tag: ローマ帝国 お金 貨幣 歴史

 今日は最近、自分が興味を持っていることを書きます。
 最近、ローマ帝国のコインを集めるのが趣味になってきました。といっても、「珍しいコインを集めよう」というわけではなく、「ローマ帝国のコインの変遷を見ると、時代区分がよくわかる」ということを発見したからです。
 板倉聖宣『お金と社会』(仮説社,1982)では「お金の質が低下し始めると国家がつぶれる」という法則性や、「政府の都合でどんなに押しつけても民衆はお金を使わず、押しつけをやめたらやがてお金を使うように経済が変化していった」という経済の法則性を、「コイン」という物質を通して発見していける、とてもおもしろい本です。20年前にこの本を読んで、とても新鮮な感動を覚えたのと、「社会の法則性に逆らった政策は、いくら押しつけても実現されない」という、社会の科学の基本的原理を知ったのでした。

 その後、板倉聖宣『原子論の歴史ー誕生・勝利・追放ー』(仮説社、2004)を読んでいて、ローマ帝国でも同じ法則が当てはまっていることを知りました。この本の246ページのグラフを引用します。
ローマのディナリウス銀貨の変遷
 ローマ帝国は西暦100年代の、いわゆる「五賢帝時代」にもっとも栄えたと言われます。確かに戦争も少なく、皇帝の評判も良く、平和な時代でした。領土も最大となります。
 ローマ帝国は銀本位制をとっていて、銀貨がものの価値を計る尺度になっていました。その中心は「ディナリウス」という単位の銀貨でした。それはほとんど純銀でできていて、大きさや重さもほぼ規格が決まっていました。ローマの兵士たちの月給もこの銀貨で支払っていました。銀貨の発行は皇帝の重要な権限でした。一方銅貨の発行は元老院に権限があり、少額でふだん使うのに適していました。
 さて、グラフを見ると、ハドリアヌス以降は銀の純度が下がっていく傾向が現れています。トラヤヌスまでは盛んに戦争を行い,領土を拡張してきた成長期でした。しかし後任のハドリアヌスは帝国内をくまなく旅行して、領土拡大戦争はやめ、「領土の維持」に力を注いだ皇帝です。つまり「成長の限界」がハドリアヌス時代に訪れたと言えるでしょう。
 私は「銀貨から見えるのは,ハドリアヌスの時代がローマ帝国の一つの時代区分になっているのではないか」というものでした。
 さて,私はグラフだけで無く,本物のローマ銀貨でこれを確かめたくなりました。ローマ帝国の古銭は,幸い日本の小判や銀貨のような高価なものではありませんでした。そして,私のローマ帝国コイン集めが始まったのです。
 さて、実際のディナリウス銀貨を見てみましょう。

ディナリウスの変化
 並べて比べてみたところ、セプティミウス・セレウス(在位193-211)のディナリウスは明らかに質が落ちて輝きに陰りが出ています。ゴルディアヌス3世(在位238-244)時代にディナリウスは銀貨では無くなっていき、発行量も減ります。アウレリアヌス(在位270-275)時代には銅貨と変わらなくなって発行する意味も無くなり、ディナリウスは廃止されました。
 これを銀の含有量のグラフで見てみましょう。
 グラフに書くと低下が始まったのはハドリアヌス以降であることわかります。これがハドリアヌスが時代区分になっているという根拠です。
ディナリウスの品位
 そして,ディナリウスの劣化と共に215年に登場したのが「アントニニアヌス(アントニヌス銀貨)」です。これはセプティミウス・セレウスの長男カラカラ(在位198-217)によって発行されました。これはディナリウスの1.5倍の重さで,純度も50%ほど。それでも価値は「ディナリウスの2倍(2デナリ)」としました。
  アントニニアヌスになってサイズだけでなく,皇帝の肖像もそれまでの月桂冠からとげとげのついた太陽の冠に変えて「2倍の価値」を表しています。アントニニアヌスという呼び名は後世の歴史学者が付けた呼び名で,カラカラの本名「アントニヌス」から来ています。
 左のコインの文字を読むと ANTONINUS PIUS AVG「アントニヌス・ピウス・アウグストス」と書かれていて「カラカラ」とは言わないことがわかります。
 カラカラの新しい銀貨が当時どう呼ばれたかは不明です。「ダブル・ディナリウス」と呼ぶコイン研究家もいます。
カラカラのアントニニアヌス
 カラカラ時代のディナリウスはすでに銀が40%程度になっていて、価値が落ちていました。それを少し大きくして「ディナリウス2枚分(2デナリ)」としたわけです。これなら兵士に払う銀貨の枚数を半分に減らせます。
 1.5倍の銀貨で2倍の価値をおしつければ,当然「1ディナリスウス」の価値は落ち、物価上昇というインフレになったでしょう。
 それを裏付ける史料も存在します。
 209-211年の小アジアの都市の碑文には「通貨の闇市への規制」が書かれたものがあります。その内容からわかるのは、カラカラの時代に「非正規の銀行や両替商でコインを取引することが行われていた」ということです。この碑文はそれを禁止する布告です。これはカラカラ時代に「コインの本当の価値(市場価値)」と「政府が定めたコインの正規の価値(額面価格)」の乖離があったことを伺わせます(小山正人 他,『西洋古代史史料集』東京大学出版会,2006,219ペ)。つまりコインの額面通りに両替すると損するから、闇市場で両替していたということでしょう。これはコインの価値が下がったから起きた現象です。
 その後アントニニアヌス自体も品質を保つことができず,急激に品質が落ち最後は銅貨に落ちぶれています。銅貨になっても公式な額面は「2デナリ」です。
アントニニアヌスの変化
 これもグラフに書くとローマ帝国の経済力低下が著しいのがわかります。
アントニニアヌスの品質
 こうなると通貨の信用には深刻な問題が生じたことが想像できます。同じ『史料集』の220ページにはこんな史料がありました。
 260年の「通貨の受領を拒否する者への勧告」というパピルス文書です。
その中には「皇帝陛下の神聖なる通貨の受け取りを望まぬために銀行を閉めてしまった」という一文があります。このことをけしからんとして告訴したのがこの文書です。こういう事件があったということは、もう皇帝のコインも受け取り拒否にあっていたという事実を示すものでしょう。260年といえば「銀貨が銅貨になりはてた」時代でもあります。
 そしてこの文書には続けて「それがために、都市が必要とするものを有するのが妨げられ、物資の流通を混乱させ、皇帝のための租税の流入が遅れるのである」と影響を書いています。

 さらに「貨幣鋳造工場の数」をみると,カラカラ帝以降クラッシュが起きて,その後も回復していないことが分かります。前半の成長期と200年代の低落期がはっきり分かります。これを見ると時代区分はカラカラにした方がいいかもしれないな~。
ミント数の変化
 お金以外の大きな変化はカラカラ以降は天寿を全うした皇帝はほとんどいないという事実です。この時代の皇帝は数年の短い在位で暗殺されることが普通になりました。これは帝国の異常事態でしょう。
 その後ローマ帝国は西暦400年代まで生き延びますが,それは「何とか生き残っている」という状態で,ハドリアヌス以前の活気あるローマは失われたままでした。
 ということで「銀貨からはハドリアヌス時代が時代の区切りになっている」つまり「変化の始まり」ということと、「時代の変化が明確に表に出たのはカラカラ時代」と言えるかもしれません。
 つまり「物質的変化(銀貨の劣化)」は「社会の変化」に先だって起こっているということではないでしょうか。

参考文献

(eBayリンク)
・David Sear『Roman Coins & Their Value Vol 1 Republic & The Twelve Caesars 280 BC - AD 96』2000
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(アマゾンリンク)
・板倉聖宣『原子論の歴史―誕生・勝利・追放』仮説社,2004
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・板倉聖宣『お金と社会』仮説社,1982
51nOxadnE6L._SY445_SX342_.jpg
・David Sear『Roman Coins and Their Values Volume II 』2002
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・David Sear『Roman Coins and Their Values III: The Accession of Maximinus I to the Death of Carinus Ad 235 - 285』2005
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・David Sear『Roman Coins and Their Values IV』2011
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・小山正人 他,『西洋古代史史料集』東京大学出版会,2006
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・Richard Duncan-Jones『Money and Government in the Roman Empire』Cambridge University Press,1994
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・Kenneth W. Harl『Coinage in the Roman Economy, 300 B.C. to A.D. 700』Johns Hopkins Univ Pr,1996
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