日本の最北端,サロベツ原野・納沙布岬・宗谷岬

Tag: 北海道 稚内 カバの旅 K1Ⅱ グルメ ウニ

旭川の次はレンタカーで日本の最北端・稚内へ向かいました。

日本海に沿った道を北上しながら道の駅に寄り道しました。
昼食は途中の町「羽幌町」にあった食堂でウニ丼です。今回の旅行で初のウニ。
やはり取れたてのものはツブツブがはっきりしていますね。
稚内

このお店でいただきました。
稚内

サロベツ原野に沿った海岸に並んだ風車は「オトンルイ風力発電所」。稚内地方は昔から風車が使われていたそうです。実はここで,大型バイクが倒れて困っていた旅行者を救助しました。我々と3人で引き起こしました。
稚内

サロベツ原野からは利尻島も見えます。
稚内

稚内の先端。納沙布岬へ到着。
稚内
2020/08/17 15:34:32
PENTAX K-1 Mark II
DFA28-105mm,ISO100,1/400s,F10。

ここからも利尻島が見えます。
稚内

納沙布岬の水族館にはアザラシがいます。これはまだ訓練中のアザラシです。
稚内

野性のエゾシカもいました。
稚内

稚内の市内を見下ろす山にある展望台「開基百年記念塔」です。
宗谷に戸長役場が置かれた明治12年(1879年)を稚内市の開基とし,100年目にあたる昭和53年(1978年)7月に稚内公園の丘陵上に建設された地上80m海抜250ⅿの建物です。
中の博物館には伊能忠敬や間宮林蔵の探検の歴史資料や,日本の領土が南樺太や国後・択捉島(いわゆる北方領土)まで広がっていた時代の町の風景や,人々の生活にまつわる事物の展示があり,見応えのあるものでした。1945年の敗戦は,こうしたものすべてを失わせる実に愚かな戦争だったんだなあと実感できる内容でした。
日本は当時の中国を侵略ではなく,清朝を倒した革命を助ける援助をすべきでしたね。1930年代からの大恐慌の不景気の対策は,武力による領土の獲得よりも,国民党政府の経済成長を助けるような投資をしていれば,日本の市場拡大と経済成長にもなったでしょうし,その後の共産党政権の誕生も防げたかもしれません。今の状況はすべては武力行使による支配に走った昭和政府の選択の誤りの結果でしょう。
稚内

ここから見た夜景。稚内港からは樺太に向かう国際線フェリーも出ていました。
稚内

予想外のことは,稚内市内で食堂難民になりかけたこと。
当初の予定は魚専門の居酒屋「蝦夷の里」へ行こうと思って,開店の18時に行ったのですが,「満席です」と断られたので,「明日来ます」というと,「明日も満席です」という店主の返事....
店内は2~3人ほどカウンターにいるだけで,空席がたくさんあったのですが,どうやら我々は「招かれざる客」だったようです。「じゃあ,あさっては?」と聞くのは大人げないと思ってやめました。
がっかりして駅周辺の商店街の店を探しましたが,ほとんどの店が休み。
ようやく稚内駅の隣の「夢食館北市場」で夕食にありつけました。その店の人が言うには「(先週の)お盆休みが忙しかったから,今日は休みたかった」ということでした。この店は難民救済になっていたのか,お客さんが集まっていました。

あとで,稚内を去る時にわかったのですが,港周辺よりも東側の市街地のほうが発展していて,店が多かったようです。いわば稚内駅と港周辺は「旧市街」のようなものです。「新市街」の住宅地で店を探せばもっと営業しているところがあったでしょうね。
まあ,稚内の注意点としてメモしておきます。

稚内では1日目の夜に納沙布岬へ行ってちょっと星を撮りました。
稚内

雲が多かったのが残念です。
稚内

翌日夕方に記念塔に登って見た稚内の港から宗谷岬方向です。
稚内

山を下りる途中でエゾ鹿に遭遇。
稚内

さらにネコに遭遇。
稚内

稚内駅は鉄道の北の終点です。
稚内

稚内3日目はさらに最北端を目指して宗谷岬へ。その手前にあるのは間宮林蔵が樺太に出航した場所です。
稚内

そして宗谷岬にある間宮林蔵。
稚内

日本の最北端。宗谷岬。
稚内

NHKみんなの歌「宗谷岬」の歌碑。
 流氷溶けて~~♪
 春風吹いて~~♪
の,あの歌です。
稚内

アルミ缶で作った風車売りの車が来てました。
稚内

北のにしん屋さん
サロベツ原野
ノシャップ岬
開基百年記念塔
間宮林蔵渡樺出港の地
宗谷岬
オトンルイ風力発電所
このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

コメント


認証コード9061

コメントは管理者の承認後に表示されます。