放射線被曝を「けがれ」として差別するな

Tag: 放射線 デマ 科学教育
南相馬
2011/09/17 14:44:50,津波の爪痕残る南相馬の海岸にて。

 ニュース報道で看過できないことがあったので、HPという一般公開の場でも意見表明をしておこうと思う。

MIXIニュースによれば、 
福島第1原子力発電所の事故に伴い避難した人たちが、放射線量を確認するスクリーニング検査で「異常なし」とする証明書を提示しなければ医療機関で受診できないケースがあることが分かった。避難所に入所する際、スクリーニング検査を事実上義務付けられるケースも。専門家は「非科学的な偏見による過剰反応だ」と指摘している。【平川昌範、阿部周一】

 ということである。

これは「けがれ」思想そのものと思う。
「けがれ」とはかつで流行した思想で、今もしぶとく生き残っている。要点をかいつまんで説明する。

(1)「けがれ」とは、何らかの物質で「水で洗う=みそぎ」で取り除くことができる。
(2)「けがれ」は人体に残留し,他者に移ることがあるとして、言われ無き差別や排除を受けるものである。

 なるほど「放射線被曝」の偏見と同じ構造だ。
「放射線被曝」とは物質では無い。「影響を受けた」だけのことである。「とおりすぎただけ」のものである。「残留物など存在しない」。
 こういうのが本当の「基礎学力」であると思う。受験学力では無い本当に知っているべき知識とおもう。
 さらに「避難しただけ=被爆している」という思考も問題だ。今の避難地の放射線レベルは、なんら健康被害がないレベルだ。原発は決して核爆発はしない。そういう点でもこの事件は「いわれなき差別」だ。

さらに補足すると、

(3)「けがれ」という物質は人に何らかの害をなす。

(4)「けがれ」が発生するのは何らかの「悪い行為」たとえば、「動物を解体して食肉にする」「動物の皮を製品にする」といった行為で発生すると考えられていた。

(5)死者に触れる、近くにいると「けがれが付着する」と考えられている。
 
(6)「何が悪い行為か」は連想の論理や、単なる流行で決まる。

 という点も重要である。これは「部落差別」の発生原因になったからだ。
「部落差別」というのは「どこかの偉い人が差別しろ」と決めたから発生したのでは無い。「一般大衆」が「けがれ思想に染まったため」、一般大衆が、特定職業集団を「けがれている」と避けたり、排除した結果であるからだ。つまり「普通の人々の基礎学力の問題だった」わけだ。
 そしてさらに恐ろしいことに、当初の「けがれの原理」は忘れられ「何だか知らないがみんなが差別するから、差別する」結果になっただけなのである。

記録として「くだらないニュース」を残しておこう。

放射能心配…福島産花火、市民の抗議で使用せず
(読売新聞 - 09月19日 13:30)
 東日本大震災の被災地の復興を応援しようと、愛知県日進市で18日夜に行われた「にっしん夢まつり・夢花火」大会で、市などでつくる大会の実行委員会が、福島県川俣町の業者が生産した花火の使用を市民からの抗議で急きょ取りやめていたことがわかった。
 実行委員会によると、震災復興をテーマに岩手、宮城、福島各県産のスターマインを打ち上げる予定だったが、16日から17日にかけ、「放射能汚染の心配はないのか」「安全性を示すデータはあるのか」などと、電話やメールで抗議が20件ほど寄せられたため、対応を協議。打ち上げを委託した愛知県内の業者からも放射能検査機器がなく、放射線量の確認が間に合わないと連絡があり、17日、福島県産スターマイン1セット(80発)だけ、愛知県内の業者の花火に代えることを決めた。
 日進市の萩野幸三(こうぞう)市長は記者団に対し、「結果的に福島県の方々に大きな迷惑をかけて申し訳ない。被災地にエールを送るつもりで、福島の花火業者を指定して企画したが、市民の不安にも答える必要があり、実行委も打ち上げを判断仕切れなかった」と話した。


 これを「放射線被曝」に置き換えてみよう。かつての愚かな「部落差別・特定職業差別」と同じ論理・発想ではないか?
 あなた方一人一人が「けがれ思想」の構造に染まらないよう、毅然として「放射線被爆者を差別するのは間違っている」と思わなければ、こういう差別は無くならない。「みんなが差別するから、私も差別する」という愚かな思考に陥らないように、自分の頭でよく考えよう。

参考文献

これについての文献は
・住本 健次・板倉 聖宣『差別と迷信―被差別部落の歴史 (社会の科学入門シリーズ)』仮説社,1998
51iv8+yKIOL._SY445_SX342_.jpg(Amazonのリンクです。)
 を是非お読みください。 あなたが差別に荷担しないために。目からうろこで授業で多くの子供達が楽しんでくれた本です。お説教ではなく「たのしく差別について学ぶ」ことが必要ですね。それを実現した本です。

放射線を楽しむ本(Amazonのリンクです。)

霧箱で見える放射線と原子より小さな世界

きみは宇宙線を見たか

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コメント

  • 今も・・・・

     震災間もない頃に書いたこの記事。あれから3年たって何が変わったのか?
    自分のできることはしてきたのか?
     自問自答する日々。


  • 私はトリチェリになろう

    こういう差別構造をたのしく,科学的に学ぶ方法を確立し,「地球は太陽のまわりを回っている」というのと同じぐらいのみんなの常識になれば,教育の科学では「問題が解けた」と言えます。
     しかし,「地動説」が常識になるまでまでかかった時間を考えると,やはり板倉さんはガリレオで,ニュートンが出るのは次の世代か.......でもその間をつなげた人がたくさんいます。私たちはそういう人になればいいんです。
     トリチェリはガリレオの晩年の弟子で,目が見えなくなったガリレオの口述筆記の手伝いをしていたとか。彼自身は「真空を作る実験」を行いました。近代科学研究の伝統=実験科学の伝統はこうして後世につながっていいきました。
     教育学が実験科学になるその日までつながって行くように,今,自分にできることをやるだけです。


  • 今読み返すと....

    震災直後に書いたので「結構怒ってるなあ」って感じの文章。ああ,これって昔からある「けがれ」って言う,むちゃくちゃな理論と同じなんだっていう発見。「けがれ思想」「かげれ思考」パターンは日本人にしみこんでるようです。「大衆がダメだ」って責めても解決しないし,科学を押しつけても解決しなかった問題。まだまだ科学教育の研究で解かなければならない問題は多いですね。住本さんの『差別と迷信』(仮説社)は名著です。原発の差別はこれと同じだと発見できました。しかもこの本は目からうろこで楽しく読めるのが素晴らしい。小中学校の授業でも子供達が楽しんでくれた授業です。しっかり実験結果に裏付けられた,誰にでもお勧めできる本です。



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